私たちは無宗教それとも多宗教


住職を乗せて、某芸能人のお通夜にでかけた。
普段テレビで見る人達が黒い喪服に身を包み、手を合わせお焼香をする。祭壇には見たことのある名前ばかりが並んでいる。

弘法大師が開いた真言宗の作法でのお通夜。本来の仏教では葬送の慣習はないそうだが、中国の儒教との習合によりこのような習慣になったそうだ。

そもそも考えてみれば、クリスマスを祝い(キリスト教)、除夜の鐘を鳴らし(仏教)、初詣(神道)に行く。そしてそれが争うこともなく自然に生活の中に入り込んでいる。手を合わせ感謝する気持ち、これはどんな宗教であろうと変わらない。やり過ぎないことなど、素晴らしい教えを残してくれている宗教、学校で教えてくれないから知る機会も少ないが勉強してみると、大事なことが一杯つまっている。
 スローライフという言葉を多く見るようになった。
 私はお寺にいることが多いが、檀家でもないし、実家は真言宗ではなく浄土真宗だ。家紋もついこの前まで知らなかったし正直いって宗教のことは避けて通ってきた。

 しかし生まれてきた以上、葬送は必ず一度は行わなければならない。携わってみると歴史のことや今まで知らなかったことが見えてくる。特に感謝の気持ちを忘れずにいられる場所としてもっともっと身近な存在になればいいと思う。

 自分は無宗教だと思っていたが、考えてみれば多宗教が正しいような気がする。世界に誇れる多宗教共存者として誇るべき存在が日本人ではないだろうか?

 芸能人が喪服に身を包みお焼香をしている姿を見てこんなことを考えてしまった。


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2 Responses

  1. Yonmo3 より:

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    キリスト教などは一神教だから排他的ですからね。他の神の存在を認めない。多神教の土壌がある日本はそこのところ大らかだから、キリスト教やイスラム教も沢山の神の一つとみなして接することができるから良いのかもしれません。そのような考え方が将来の世界をまとめていく潮流の一つになるのではないかと思います。

  2. ipizumi より:

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    Yonmo3さん
    争いのない世界を望みます。今のイスラムとアメリカの対立の構図も結局はエルサレムに行き着いてしまう。
    歴史をきちんと教えない日本の教育もどうかとも思いますが、過去にこだわりすぎるのもどうかと思います。
    何事も、ほどほどにが一番だと思います。

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