番外編2 親と指導者のジレンマの中で

興味深い記事があった。

http://www.ninomiyasports.com/xoops/modules/news/article.php?storyid=574

スポーツライターの三浦さんのコラムなのだが、今の現場のジレンマを物語っている。

いいサッカーとはなんだろう。大人が子供に押付けてないだろうか?パスをつなぐサッカーがいいサッカー、勝つサッカーがいいサッカー、いろんな考え方があるだろう。しかしそのいいサッカーをするという思いの中で子供達は大きなジレンマの中でもがき苦しんでいる。

私は基本的に指導者と言われている人がサッカー選手を潰していると思っている。私もそのうちの一人だ。ある意味で中途半端な指導なら行わないほうがまし。選手に迷いを与えてしまうだけだからだ。

責任という言葉を強く感じるとサッカーを教えるということは到底できるものではない。学校の先生と同じで影響力の大きい仕事なのだ。ボランティアだからといって全てが済まされる問題ではない。

小学生の試合の合間にビールを飲んで中学・高校の指導者の批判をしている指導者もいる。そんな姿を見て育った小学生が現実的な夢とか希望を持てるのだろうか。

でも小学生はそんなことを気にしないで中学・高校と進学する。そこで現実を知ることになる。ここで批判はやはり向き合った指導者に向けられる。小学生の指導者はどこ吹く風だ。

五輪代表に入った川島選手を見て思う。彼のメンタリティならどのチームからでも大きく育ったと思う。いい選手になれるかどうかは個人の資質によるものが大きい。それを邪魔しないのが指導者の役目。少しでも力を添えてあげらるのがいい指導者なのではないだろうか。新しい技術・戦術を伝えることが指導者の仕事ではないような気がしている。

サッカーの世界に置き換えて、社会の仕組みをしっかり教えてあげる。インサイドパスが教えられなくても十分指導者だ。