日記のタイトルを変更しました
1998年、1999年オーストラリアのオーストラリア・インスティチュート・オブ・スポーツ(AIS)やクラブマルコーニ、サッカーアカデミー。2001年スペインで見た、アトレチコマドリード、レアルマドリード、アスレティックビルバオ、バジャドリード、ラーヨバジョカーノ、中国上海。。。
土のグラウンドでジプシーで活動していたスペイン1部チームもあった。レアルマドリードのようなとんでもないクラブもある。ドイツのフランクフルト国際空港ではトロフィーを持ってうろうろしている私たちにたくさんのドイツ人が声をかけてきた。スペインでもフットボールをやっているというとおばあちゃんがよろこんで話をしてくれた。
ジーンズで審判をしていたり、線審もいないのにセンターサークルの中で動かずオフサイドを連発したり、勝ってれば5分前でも試合を終わらせてしまう。かと思えば、銃を持った警備員がいる中で金網で囲まれた小さなスタジアムで国際審判の笛で試合をする。ひまわりの種を食べながら足を踏み鳴らしながら試合を観る。大会前夜は、ワインの飲み比べをしたり、朝まで町中でもてなしてくれたり、海外には知らないサッカーの世界があった。すごくゆとりがあるし、一度輪の中に入ると最高にもてなしてくれる。
他のチームにない「愛媛にしかできない、愛媛の人のための、世界に誇れる愛媛のサッカーチーム」できるといいなと改めて思いました。
友近選手が、ドイツで何を思い、どういうことを胸に戦っていたのか、ぜひご一読ください。