鹿島アントラーズ誕生秘話

今日は久し振りにスポーツライターの三浦さんと食事をした。
ちょうど昼間に電話をしたら鹿島にいるとのこと。夕方時間を合わせて会うことになった。

仕事で鹿島アントラーズの平野スカウト部長の所に取材に行ったそうだ。そこで住友金属蹴球団が大阪から鹿島に来てからの話を聞いたそうだ。

私も以前に日本リーグ2部から1部に昇格させた監督からその話を聞いていたのだが、まったく同じ。
その時のコーチが今の広報の野見山さんと日本代表コーチの里内さん。キャプテンが強化部長の鈴木満さん。そうそうたる顔ぶれだ。

大阪から鹿島に移ってまず大事にしたのは地元とのつながり。ビジネスホテル十二神のオヤジや雄飛寮の前のトンカツ屋兼コーヒーショップの女将さんはその時の話を以前懐かしそうにしてくれた。

アントラーズになったから地元に根付いたのではなく、それまでの取り組みがあったからジーコが来て花が開いたのだ。

鹿島と愛媛FC、愛媛FCは昔鹿島が歩いた道を今歩んでいるのだろう。日本の成功例、鹿島の後を愛媛FCが続いて欲しい。