20210703 第27回 ファン・サポーターにもできること 非公認オンライン勉強会 (ゲスト:(株)ワークライフスポーツ 稲垣秀行さん)
日本サッカーが一気に国民に認知されることとなった1990年代、そこに各W杯ごとに変遷していったITツールとの連携がその輪を拡げていったというお話は興味深かったです。98年(写ルンです、国際電話)から02年(HP、携帯電話、デジカメ)、06年(mixi、携帯電話、デジカメ)、10年(twitter、スマホ)、14年(facebook、スマホ)、18年(スマホ、SIMフリー、GoogleMAP、翻訳)という某IT企業にお勤めだった稲垣さんならではの視点でした。
2002年日韓ワールドカップをホストタウンの側から盛り上げる、これは今は規制が多くて当時のようにはできないと思います(しかもコロナ禍)が、今の東京オリンピックのように知らないところで計画通りに進んでいく盛り上がりとは違う、参加できる楽しさがあったと思います。
大枠ではフリーライダーということにはなるのかもしれませんが、そこにあるイベントに、仲間を作って目一杯参加し楽しむというのは、やはり生活を豊かにする(踏み外す?)第一歩だと思います。
サポーターも多様化し、日本サポーター協会の面々が「蹴る」「観る」「支える」「伝える」に分かれていき、活躍しているというのは当然という感じです。
稲垣さんの住む浦和でも浦和レッズサポーターはどうあるべきかなどの議論もあるそうです。駒場から美園にメインスタジアムが移り、浦和の中でのレッズの立ち位置は変わっていったそうです。
私たちがどうやって愛媛FCを浸透させていくか、今後考えていく仲間を増やすのがまず大切ということになります。
今回もありがとうございました。
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私の埼玉時代の友人が続きます。
当時サッカーの指導者をやっていた私が知り合い、衝撃を受けたのが「日本サポーター協会」の方々です。2000年頃まだ普及し始めたばかりのブログ(楽天広場だったと思います)を通じて交流が始まったのですが、こんなことをやっている人たちがいるのかというのが正直な感想でした。この出会いが私を愛媛FCに対する勝手連的な活動の源流になっているのは間違いありません。
今回のゲストの稲垣さんはこの活動に長く関われていて日本サポーターの変遷をちょっと違う視点で見て来られた人だと思っています。
1993年のJリーグ開幕前後からサポーターを取り巻く環境はどのように変わってきたのか今回のためにまとめてもらいました。歴史の勉強みたいな内容になるかもしれませんが、一度みんなで共有しておきたいなと思います。
今回もよろしくお願いします。